職の人 vol.13
泡盛マイスター 門脇りささん
人が好き。食べる事が好き。お酒が好き。沖縄が好き。
「小さな頃はとてもやんちゃで、男の子に混ざって草野球ばかりやっていました。自宅から小学校まではバスで1時間くらいかかる場所にありましたが、放課後もかなり遅くまで草野球をして遊んでましたね~」
そう話すのは、那覇市国際通り屋台村にある泡盛専門店「島酒と肴(しまぁとあて)」で泡盛マイスターとして働く、兵庫県出身の門脇りささん。両親と姉の4人家族。
沖縄の観光地として、多くの人が立ち寄るであろう、国際通り。約4年前のオープンから連日多くの客で賑わう沖縄の新名所だ。訪れる客は、観光客9割、地元民1割。
「島酒と肴(しまぁとあて)」の狭い店内では、日本各地から訪れたお客さん同士が仲良くなり会話もはずむ。そんなお客様の中心に立ち、約150種類もある泡盛の中から、りささんはお客様の好みに合った泡盛を勧める。
「お客様同士の会話を邪魔しないようにはしています。でも狭い店内なのですべてのお客様を巻き込み、私も含め店内のお客様全員が笑顔になり盛り上がるときが、何よりの至福です」
とにかく人や人が集まる場所が大好きというりささんは、飲食店の仕事が天職なのだろう。兵庫県出身のりささんが、沖縄に移住するきっかけはやはり人との出会いだったようだ。
小さい頃から英語を学ぶも、留学はせずバンドに明け暮れた毎日
「父親がバンドをやっていた影響で、小さな頃から音楽に興味がありました。自宅にも父の楽器があったり。なので中学校では吹奏楽部に入り、サックス担当になりました」
りささんの通った学校は、幼稚園・小学校・中学校・大学と、高校以外は附属になっているため、中学校もりささんが通っていた小学校の隣にあったという。
「だけど中学校も自宅からバスで1時間くらいかかったので、放課後に部活をしているとかなり帰りが遅くなるんです。しかも吹奏楽部は土日にも練習があったのでちょっと辛くなって。なので泣く泣く吹奏学部は辞めて、姉も入っていた美術部に入りました」
大好きな姉とは3歳の年の差があるので、りささんが美術部に入部した時、姉は中学を卒業していたが、姉が美術部にいたおかげで、先輩や先生にとても可愛がられたそうだ。
「附属なので小学校からの友達はみんな同じ中学に進みます。なので幼馴染のようでみんな仲良くて。でも中学になると他の小学校から入学してくる人もいて、その中にカッコいい男の子がいると女子はみんなウキウキ・キラキラして、恋に目覚めるわけですよ(笑)」
2歳の頃から公文で英語を習っていたりささんは、公文で最終教材終了まで続けたそうだ。なので中学時代は部活と英語漬けの日々。
「でもどちらも好きな事だったので、今考えても本当にあの頃は楽しかったなーって思います。英語は得意でしたたが、数学は壊滅的でしたね(笑)」
唯一、附属ではない高校に入った理由は、その高校に軽音楽部があったから。
「その高校には軽音楽部もあり、英語のコースもあったので、その高校を選びました。姉も同じ高校で軽音楽部に入っていて、それがめっちゃ楽しそうだったんで、私も同じ道を辿って。姉の影響をかなり受けていますね」
高校時代にバンドを組んだ。その頃に初めて「彼氏」ができ4年間付き合った。
「高校時代はバンドと恋に明け暮れてました(笑)英語コースだったので、オーストラリアにある姉妹校に留学するチャンスもあったけど、バンド練習がしたいために行かなかったくらいです」
順調だった学生時代。大学で初めて苦悩を知る。
高校を卒業したりささんは、大学進学へ。大学では法学部で国際政治を学ぶ。
「大学に入ってからかなり苦しみました。内容が難しすぎて。周りには留年している先輩もたくさんいたので、必死に勉強しましたね~。いや~本当に辛かったです。大学でも軽音楽サークルに入りましたが、勉強とサークルの両立が難しい上、サークル内の人間関係のもつれがありすぎて、3回生の時にサークルは辞めました。その後、母の紹介で新たなバンドにギターとして加入し、そのバンドは今も続けています」
大学で国際政治を学びつつ、バイトも頑張った。大学時代にバイトした焼肉屋さんで、初めてお酒を呑む大人と触れ合う接客を知る。
「お酒を呑み焼肉を食べているお客様がみんな楽しそうで。その頃から自分は飲食業界の仕事に向いているかもとは薄々思ってました」
現在、飲食業で務めるりささんは毎日が楽しくて仕方がないそうだ。でも大学卒業後は飲食業とは違う会社に就職する事となる。
「就職活動して入社した会社は、地元の印刷会社でした。その会社の営業は女性ばかりで、私もその中の一人として働きました。仕事内容は楽しく、社長は『営業は可愛がられてなんぼや!』という考えだったので、私もクライアントに可愛がられるよう一生懸命頑張りました」
ただ仕事内容は楽しかったものの、この会社はいわゆるブラック企業だった。みなし残業以上の残業をしても残業代は支払われず、休日出勤も強制だったので1年ちょっとで退職する。
「就職して1年。その頃、私の周りには仕事を辞めて再就職する友達が多く、影響された部分もあるかもしれません。石の上にも3年と言われるように、最低でも3年は働きたかったけれど無理でした。仕事人間だった父からは怒られるとおもいましたが、意外にも優しく受け止めてくれて、父の懐の深さに感動しました」
いくつかの転職を経て、りささんはスターバックスのバイトとして入る。スターバックスは店長以外はみんなバイトというシステムで、スターバックスで1年働いた頃りささんは、店長補佐を任せられることになる。
「やはり接客は楽しくて。仕事もやりがいがあったしスターバックスのスタッフはみんな、スターバックス愛が強く、私もみんなに触発されて頑張る事ができました」
これが24歳のころ。しばらくはスターバックスで楽しく働いていたりささんは、あるご夫婦との出会いにより沖縄に移住する事になる
14歳の頃、初めて訪れた沖縄で移住を決めた
りささんが初めて沖縄を訪れたのは中学生の修学旅行。そこで沖縄に魅せられ、地元に帰ってからも、沖縄の海の景色や空気感が忘れられなかった。
「タクシーに乗って観光したんですが、その時に眺めた沖縄の景色や綺麗な海を観て、大人になったら住もうと漠然と思いました。まだ子供なのに(笑)2度目に訪れ沖縄は21歳の時、沖縄で好きなアーティストのライブがあり、2泊3日で沖縄に来ましたが、やはり将来私は沖縄に移住したい!!と心に決めました」
ただ心に決めたとはいえ日常に流され、地元で日々頑張って働いていた。が、ある日、運命的な出会いをする。
「母がとっても素敵な店があるからと、26歳の誕生日に連れて行ってくれた居酒屋が、地元の沖縄居酒屋だったんです。初めて泡盛を呑んだのもその居酒屋でした。器もやちむんだったし、島野菜を沖縄から取り寄せていたり、沖縄料理もどれも絶品で一気にハマっちゃって(笑)かなり通いました」
ちなみにりささんが初めて飲んだ泡盛は「忠孝原酒」。今でも忠孝酒造の泡盛が大好きだそうだ。
「ある日、その沖縄居酒屋であるご夫婦と知り合い、そのご夫婦は沖縄が大好きな沖縄移住経験者で。ご夫婦が知り合う前にご主人も奥様も別々に数回の移住を繰り返し、離島で知り合い結婚したそうです。その二人に沖縄の良さを聞き、かなり影響され、沖縄移住の気持ちが抑えられなっちゃって(笑)」
人との出会いがりささんの背中を押してしまった。そこからのりささんはどんどん拍車がかかる。
「沖縄居酒屋の店主に『どうやったら沖縄に移住できるかな~?』と相談したところ、沖縄で居酒屋を営んでいる熱い男がいるから、その男を頼ってみろ!と紹介してくれたのが、現在私が働いている店のオーナーなんです」
5月の26歳の誕生日に沖縄居酒屋へ行き、沖縄好きのご夫婦と会い、そこから2ヶ月後の7月には沖縄に面接に行き、その2ヶ月後の9月には沖縄に移住していた。巡り合わせがよかったのか。タイミングが良かったのか。2017年9月にめでたく移住し、国際通り屋台村「島酒と肴(しまぁとあて)」で働くことになった。
「移住を決めてからは自宅でネットを使い家探しを始めました。もう時間がなかったので内見する事もできず、国際通り屋台村のすぐ近くのマンションを決めて。イチかバチかで決めましたが、とても気に入っています」
りささんの選んだ家は1Kのマンション。家賃は4万。バス・トイレは別でバスタブもあるそうだ。国際通りからすぐ近くでこの値段は破格だ。しかし収納はないそうだ。
荷物もスーツケースに入る分だけ持ってきた。家具や寝具・家電は沖縄で購入した。そして2019年2月、りささんはめでたく泡盛マイスターの資格を取得した。
「島酒と肴(しまぁとあて)で働いてみて、とても楽しいんです。人が好きでお酒が好きなので、まさに天職だと思います。移住して1年半経ちますが楽しすぎてあっという間でした。永住するつもりです。沖縄でいい出会いがあれば結婚もしたいですね」
沖縄の海を眺めるのが好き。景色が好き。沖縄の中でも地域によっても景色が違うしチャンプルー文化にも興味があるそうだ。
「沖縄に移住して驚いたことは、部屋干しした洗濯物にカビが生えた事。ビックリしました!うちなータイムも本当にあるんだと驚愕したりもしますが、沖縄のクセの強い中味(豚のホルモン)も山羊料理も大好きです」
「将来は漠然だけど自分で飲食店をやりたいですね。私の人生を変えたのはあの夫婦なので、私も沖縄好きの人口を増やしたいし、影響力のある人になりたい。食べる事も飲む事も好きなので、飲食の仕事は続けたいと思います。というか飲食以外の仕事は考えられないですね。食べる事、飲む場所に集まって来る人が好き。そこから広がる人間の輪が好き。人と人との繋がりが大切だし、それをまた広げていけたらいいなと思います」
りささんの座右の銘は「為せば鳴る!」。「鳴る」は音楽が好きなので鳴るという文字。何事も一生懸命取り組んでいればモノになるし、時間はかかるかもしれないけど、その積み重ねを大事にしたいそうだ。
「正直、沖縄に移住するにあたり、仕事に対する理想を少し下げた方がいいと思います。移住する時に一番ネックになるのは仕事だけど、理想が高すぎるとなかなか1歩が踏み出せないと思います。でも移住してしまえば色んな人と知り合い繋がりもできる。そうすればいい仕事が転がり込んでくることも多いです。求人情報誌に載っている仕事だけが仕事じゃないと思います!」
インタビューを終え、りささんは逞しいなぁと思った。一人で沖縄に乗り込み、毎日色んな人と知り合いその繋がりを広めている。2ヶ月で移住を決めた彼女の「勢い」も、沖縄移住には必要なのかもしれない。
国際通り屋台村 島酒と肴(しまぁとあて)
080-4319-0013