[REQ_ERR: COULDNT_RESOLVE_HOST] [KTrafficClient] Something is wrong. Enable debug mode to see the reason. 沖縄に愛され進化し続ける夫婦ユニット「Relaxin:Kitchen(リラクシン・キッチン)」 | KNOW:O
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沖縄に愛され進化し続ける夫婦ユニット「Relaxin:Kitchen(リラクシン・キッチン)」



職の人 vol.14ミュージシャンRelaxin:kitchen

Guitar:Ta-ke Segundoさん & Vocal:ciucoさん

沖縄で最もお酒が似合う美男美女の夫婦ユニット「リラ☆キチ」

美男美女の夫婦ユニット「Relaxin:kitchen」

「僕たちは出会って恋に落ち、すぐに暮らし始めましたが、あの頃を思い出すと本当に毎日楽しかったね~」

二人で見つめ合いながら笑顔でそう話すのは、沖縄で最もお酒が似合う夫婦音楽ユニット「Relaxin:kitchen(リラクシン・キッチン)」のお二人、夫のTa-ke Segundo(ターケーセグンド)さんと、妻のciuco(しうこ)さん。

Ta-keさんがギターを弾き、ciucoさんが歌う。Ta-keさんは男前でクール、とてもいい声で人を引き付けるそのトーク力と、とても頼りがいのある力強さ。ciucoさんが一目ぼれしたのがとてもよくわかる。

Vocalのciucoさんは、迫力の中低音からホイッスルボイスまで、5オクターブの音域を自在に操る圧倒的な歌声の持ち主。

Ta-keさんは愛媛県松山市出身。子供の頃のTa-keさんは、三人兄弟の真ん中で兄と妹がおり、目立ちたがり屋ではあったが、それが原因で男友達に嫌われたりいじめられたりしていたので、女の子の友達しかおらず、遊ぶのはいつも女の子だった。

Ciucoさんは東京出身。子供の頃のciucoさんは夢見がちでぼんやりとしていて、時間や数字が苦手なとても変わった子だった。出身地の違う二人が、将来、運命の糸を手繰り寄せるように出会うことになる。

「きっと縁があったんでしょうね。お互いのタイミングが合ったというか」

明るく無邪気なciucoさんと、クールで穏やかなTa-keさんが、一つ一つ丁寧に言葉を選びながら丁寧に話てくれた。

音楽の力でどんどんと引き寄せられる運命的な二人

5オクターブの声を操る、沖縄の歌姫Ciucoさん☆

ギタリストのTa-keさんは、地元愛媛で小・中学校生活を送る。

「中3の頃、周りはみんな受験勉強をしていました。僕はバスケット部を引退後、勉強はせずに同級生たちと『バンドやろうぜ!』というノリでギターを始めました。世の中的にもバンドブームだったんです」

Ta-keさんは高校へ進み、高校のギター研究部という軽音部のような部活に入った。そこで知り合ったメンバーとバンドを組み、文化祭などでライブをやったが、その時のTa-keさんはギターではなくボーカル担当。高校卒業してからバンドで東京で一旗あげようと、バンドメンバーと東京に行く事を決意。

「高校は進学校でしたが就職活動もせず、メンバーと共に東京で音楽で食っていこうという事になり、高校卒業後は地元でバイトをし東京へ行く資金を貯め、高校卒業から2年後の20歳の時に東京へ引っ越しました」

一方、Ciucoさんは、小学校の頃から人前で歌うのが大好きで、お楽しみ会などで流行りの唄を歌っていた。中学時代は器楽部に入ったが譜面が読めず、その頃から感性のみ歌い才能を発揮していたのであろう。そして高校時代に初めてバンドを組んだ。

「高校時代に『バンドやろうぜ』という掲示板があり、そこには同じ高校の人たちだけではなく、色んな人たちがバンドメンバーを募集していて、私はそこから情報を拾いオーディションを受け、あるバンドのボーカルになりました。その当時に歌ってたのはJ-POPでしたね~」

高校を卒業した二人は東京でバイトをしながら、それぞれに音楽活動をしていた。しかしTa-keさんのバンドは上京して1年で解散した。

東京で一旗揚げてやろうと気負い過ぎていたのか、上京後1年で僕が組んでいたバンドは解散し、その後も新たなメンバーを探してはいたものの中々うまくいかず、信頼できるあるバンドリーダーの家に相談に行ったんです。だけどそのバンドも解散してしまっていて・・・。でもその解散したバンドのメンバーの中にCiucoがいて、ちょうどその時、バンドリーダーの家にCiucoもいて、そこで出会うわけです」

Ta-keさんもCiucoさんもお互いのバンドが解散し、二人とも音楽的に行き詰っていた頃に巡り会う。

「Ta-keと出会って私が一目ぼれしちゃって!口説き落としました(笑)そして付き合い初めてすぐに同棲しました」

しかし付き合い始めてもすぐには「二人で音楽をやろう!」とはならなかった。それは当時は二人ともボーカルだったからだ。しかし二人でボイストレーニングに通ったり、お互いに音楽的な刺激をもらいながら、一緒に発声練習などをしていた。

「とはいえ、知り合いが企画したライブで二人で歌うことはありました。その頃は各々でバイトしながら各々で音楽への道を模索していた感じで。二人で一緒に音楽をやろう!とならなかったのは、ツインボーカルでやるにしても他にバンドメンバーが必要になってくるし、バンドメンバーも中々見つかるものでもないですしね」

しかし同棲から2年くらい経ち、自然とTa-keさんがギターを弾きCiucoさんが歌おうかという流れになる。洋楽のカバー曲などをやりながら2~3回ライブをやった頃にCiucoさんが妊娠する。

「妊娠したので籍を入れる事になり、そこからは音楽活動を一旦お休みしました。子供が生まれるのでTa-keも就職しサラリーマンになりました」

それが20代後半の頃。それまではフリーターとして働いていたので何の資格もなく、最終学歴は高卒。そこでTa-keさんは、まぁまぁ収入のいい不動産の正社員の仕事に就いた。

「スーツも持ってなかったので友達に付き合ってもらいスーツを買いに行きました。当時はネクタイの絞め方もわからなかったので、それも友達に教えてもらったりね」

ここからTa-keさんのサラリーマン生活は7年間続く。

たった二人とは思えないほどの情熱的なサウンド

パワフルなライブに観客は聴き入る。

Ta-keさんがサラリーマンになってから、Ciucoさんは専業主婦になり、子育てと家事に追われ音楽からは離れてしまっていた。子供が幼稚園に入った頃、以前、音楽活動をやっていたという幼稚園のママ友と親しくなり、一緒に音楽活動を再開しようと計画していた矢先に、3.11の地震に遭う。

「地震が起きた時はママ友と子供たちと代々木公園にいたんです。代々木公演は広く落下物や倒れてくるものもなかったので、地震が収まるまではみんなでその場に伏せていました。でもあんなに大きな地震に遭うとは夢にも思いませんでした。体が震えるほど怖かったです」

その頃、飼ったばかりの子猫が自宅にいたため、その子猫が心配で一旦、Ciucoさんは自宅に戻る。

「子供をママ友に預け子猫をピックアップしに行ったんですが、その道すがらの風景がいつもと全然違ってて。何かが壊れているとかではなく、山手通りにはビルから避難している人たちがたくさんいたり、ラジオで情報収集している人や呆然と立ち尽くす人など、とにかく普通の状態ではなく騒然としてましたね~」

「子猫を迎えに行きすぐに子供のところへ戻ったものの、今後また大きな地震が来た時に、果たして私は娘を守れるのかなと怖くなっちゃって。不安と恐怖が押し寄せてきました」

一方Ta-keさんは会社の5階に居た。ビルもかなり揺れエレベーターも止まった。会社から交通網がマヒする可能性があるので帰宅するよう指示があり、Ta-keさんはすぐに自宅へ戻った。

「僕は家族が心配だったのですぐに帰りましたが、帰らずに会社に残る人の方が多くて。僕が帰る頃には混雑もなかったんですが、当時の自宅は、山手通りと井の頭通りの大きな交差点の角にあったので、夜になると自宅から見える交差点に架かる歩道橋に帰宅難民の人たちが、ぎゅうぎゅう詰めになり歩いていたのを覚えています」

コンビニやスーパーの食料品売り場もすべて空っぽだったそうだ。

ギターもボーカルもできる多彩なTa-keさん

Ciucoさんはもう東京にはいられないと思ったそうだ。

「子供もまだ小さいし、この子を守るためにもう東京にはいられないと思いました。Ta-keと相談し、とりあえず私の母が住んでいる香川県へ避難することにして。すぐに子供と子猫を抱え新幹線に飛び乗りましたね~。そして岡山県に差し掛かったあたりで、福島の第一原発が爆発したというニュースが入ってきて。震えが止まりませんでした」

Ta-keさんはすぐに仕事を辞めるわけにはいかず、しかし1週間の有休をもらい、Ciucoさんが避難している香川県へとやって来る。

「Ciucoと子供の事を考えると、東京には戻せないと思いました。それからCiucoと話し合って、福島から一番遠く離れている沖縄に移住しようと決めたんです。その頃、任されていた仕事もあった引継ぎもあったので、Ciucoと子供だけ先に沖縄に引っ越してもらい、僕は地震から3ヶ月後に沖縄に引っ越しました」

2011年3月に地震を経験し、5月にはCiucoさんとお子さんが、6月にはTa-keさんが沖縄に移住した。

「最初のひと月はマンスリーマンションを借りて、そのひと月の間に家を探しました。地元の不動産を回る方がいいと聞いたし、ペットもいたので歩いて探しました。最初に住んだ家は、宜野湾市大山で3DKの駐車場付きで7万円でした」

無事に沖縄に移住できたものの、知り合いもおらず仕事もなかった。求人情報誌をみて時給や給料の低さに愕然としたそうだ。

「すぐ仕事を探すのは無理だから、失業保険をもらいながらハローワークで仕事を探そうと思いました。ただ自己都合で退職したので、失業保険を受給するまでに3ヶ月かかると言われて。でも生活費は必要だし頭をかかえていたところ、ハローワークで職業訓練校に通えばすぐに失業保険はもらえると聞いたんです。しかも職業訓練校に通っている間も受給できると聞き、6ヶ月間職業訓練校に行くことにたんです」

当時はとにかくお金がなく貧乏で、周りの人にとてもお世話になったそうだ。移住当初に借りたマンスリーマンションのオーナーにもとても良くしてもらい、今でも仲良くしているらしい。沖縄とはそういう繋がりに助けられることが多い気がする。

訓練校が終わった後もTa-keさんは、50倍の競争率を勝ち抜き、1年の期限付きではあるが給料のいい準公務員の仕事に就いたりと、徐々に沖縄に馴染んでいった。

5オクターブの歌姫、沖縄に君臨!!

リラ☆キチのライブを聴くと、誰もが感動する!

「沖縄に移住してからは、音楽活動も並行してやっていました。沖縄への移住は、生活環境を大きく変えられるチャンスだったし、東京で不動産業に就いていた頃は毎日のように残業があり、帰りはいつも午前様だったので音楽活動をする時間がなくて。沖縄に移住してからは、職業訓練校も準公務員の仕事も夕方には終わるので、時間はたくさんありましたからね」

リラ☆キチが始動し始めたのは沖縄に移住してすぐの、2011年9月10日。Relaxin:kitchen(リラクシン・キッチン)のリラクシンとは、帝王といわれたアメリカのジャズのトランペット奏者「マイルスデイビス」のアルバムのタイトルで、リラ☆キチのお二人は、マイルスデイビスが大好きとのこと。

「曲は聴くとリラックスできるという事と、当時は子供を寝かせてからキッチンで夫婦二人で練習をしていたんです。Ta-keはギターを弾き私が歌って。なのでリラクシンにキッチンを合体させました。リラクシンとキッチンだと韻を踏んでるし、キッチンは船のクルーを意味する言葉でもあるんです。私たちは料理を作るのも好きなので、リラクシンキッチンと名付けました」

しかしリラ☆キチを始動したものの、沖縄には音楽のツテがないのでライブもできないし人も集められない。そこで二人は誰と会うにもギターを持っていき、私たちはこんな音楽をやっていますとその場で聴いてもらい、色んな人と繋がる事により色んな人を紹介してもらった。

「仕事面ではなんとかうまくやれたけれど、地元の人たちとうまく馴染めたのは音楽の力だと思います。音楽がなければここまで長く沖縄にはいなかったと思うし。こういう事情で家族で沖縄に移住し音楽をやっていきたいんだと話すと、応援するよ!と言ってくれる地元の人たちがたくさん支えてくれました」

「私の歌を気に入ってくれて、『お前らにはいつでもタダで飲ましてやるからいつでもおいで』って言ってくれたお店がたくさんあって。もう感謝しかないです。人と人との繋がりが温かいのはやはり沖縄だからだと思う。東京ではなかなか味わえない感覚ですよ。しかもそれを音楽が繋いでくれたんです」

沖縄でリラ☆キチといえば知らない人はいないくらい有名だが、こういう時期を二人で乗り越えたからこそ今がある。本当に素敵なご夫婦だ。

現在は長かった髪をバッサリと切ったTa-keさん

リラ☆キチを始めて約8年。お二人にミュージシャンの苦悩を聞いてみた。

「苦悩はまさに今(笑)実はアルバムを一昨年の1月にリリースしましたが、プロモーションの仕方もわからず鳴かず飛ばずで、LIVEの動員数も増えないし、今後どうすればいいのか!と現実を突き付けられているのが今で。リラキチが始まってから約8年たちますが、その間の5年間はとにかく突っ走りすぎて、年間100~200のライブをこなしてました。多くのライブをこなすと、喉も壊したし曲を大事に歌い過ぎて、逆に自分自身に届かなくなり、アウトプットばかりしていたら、インプットができなくなったんです。新しい試みをやっていかないとと思っているところなんです」

「僕とCiucoが別々に活動してもいいなとも思うし、色々模索中です。そして夫婦でミュージシャンをやっていると、一番分かり合えるのもぶつけ合うのもお互いしかいないから、仲が悪くなっちゃって(笑)ケンカも増えるし子供にも悪影響だし、このままじゃよくないねと話し合っているところなんです」

ライブを増やすとCiucoさんの喉に負担がかかり声の調子が悪くなったり、風邪をひいて仕事に穴をあければ信用問題になるので絶対に風邪はひけない。そのプレッシャーがまたCiucoさんを悩ませていた。

「現在でもホテルでのライブは続けているし、アーティスト活動を辞めたのではなく、この2~3年で数を減らして行っています。創作活動は精神衛生的なものがとても大事で、ストレスを抱えてはできない。音楽=仕事として収入を得ていくものという考えが、なかなかイコールにならないんですよね」

現在、Ta-keさんはリラ☆キチの活動の傍ら、那覇市若狭にある生バンドカラオケ「リアカラ」や、那覇市壺屋にある琉球料理の店「ぬちがふう」のマネジメントも手掛けている。

「以前と比べ収入のベースが変わってきているという事もありますが、リラ☆キチの活動はお金の事を考えずにもっとしっかり地に足を付けて、クリエィティブな活動ができるようになりたいですね。新しい曲を作ったり、刺激を受けるためにそれぞれが別々の活動をやったりして。色んな事にチャレンジしながら、将来的にそれをリラ☆キチに還元出来たらいいなと思っています」

活動方法の転換は難しいが、Ta-keさんとCiucoさんはとても自然に、そしてスムーズに自分たちの生きやすい方法を見つけていると思う。

「私は自分のお家が好きなんです。沖縄は生まれ育った場所ではないのに、自分の家が好きだと思えるのは、沖縄に馴染んだからだと思うんです。地元に帰りたいとも思わないし。移住者で沖縄に長く住める人というのは、沖縄や沖縄の人たちが受け入れられた人だけだと思っているので、私は受け入れてもらえている間は、沖縄に居たいなと思います」

「郷に入れば郷に従うという事はとても大事。地元の人たちを尊ぶことも大事。素直に暮らすことも大切。僕たちは地震がきっかけで無計画に移住してしまいましたが、移住を考えているかたは思い切って移住するというのもおススメです。でも移住して生活はできるとは思いますが、馴染めるかどうかは別。やはり観光と移住は全然違うし、沖縄の人や風習・土地と人に馴染めるか、異文化を受け止める事ができるかどうかが一番大事です」

リラ☆キチは不定期だが、那覇市久米にあるライブハウス「TOPNOTE」で「リラキチナイト」を開催。毎週木曜の13時からは、FM那覇で「リラキチの図バーンレディオ」も好評放送中。ラジオは全国どこにいてもツイキャスで彼らと絡めるのでぜひ。

2017年1月25日に待望の1stアルバム「AVES」をリリース。沖縄の人気タレントひ~ぷ~作詞の「ばあちゃんの空」を収録し、沖縄音楽配信サイト沖縄ちゅらサウンズで同曲が4週連続1位を獲得。また、同時に配信した「kill two birds」「緑の海」もランクインし、3週連続TOP3を独占した。

毎週木曜13時より絶賛オンエア!

Relaxin:kitchen

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沖縄大好きケコ
★沖縄大好きケコ★
「てぃーだかんかんブログ おきなわラブな人たちのためのブログ」やインスタグラムなどで、沖縄大好きを発信中! 2016年、泡盛マイスターの資格を取り、国際通り屋台村 「島酒と肴(しまぁとあて)」でその実力を発揮、FM那覇にて居酒屋風ラヂオ「イザラジ」のパーソナリティを務める。Sunking Leather Craft代表。福岡県出身。

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