食の人

浮島通り発。見知らぬ街を旅するように、ビールを巡る冒険は果てしなく続く。



食の人 vol.15

浮島ブルーイング  由利充翠さん

窓から見える風景は、あの頃の沖縄と今の沖縄

広々とした店内。洒落た音楽と落ち着く空間。

「自分たちでこんなビールが作れたらいいね~と仲間と話してから、3年くらいで実現しました」

そう話すのは、那覇にある「浮島ブルーイング」の店主、由利充翠さん。

「浮島ブルーイング」はサンライズなはから浮島通りに入り、市場中央通り商店街の入り口、水上店舗3階にある。

店に入るとその広さに驚く。光が降り注ぐ窓からは、浮島通りを通るだけでは絶対に目にすることのない風景を見る事ができる。年代物の古い琉球建築の屋根。そしてその先には現代的な高層ホテル「ハイアットリージェンシー」。感動に値する風景だ。写真を載せようかとも考えたが、これは「浮島ブルーイング」に行き、自身の目で確かめた方が感動的だと思う。なので写真はなし。

店に入った瞬間、壁に美しく貼られたタイルに目がいく。重厚感と高級感が漂う。

「この壁のタイルもすべてセルフリノベーションなんです。100年以上前のリアルアンティークのタイルを購入したんですが、箱を開けてみるとタイルが折れたり割れたりしていた上に、土やわらも付いた状態で。6000枚のタイルを洗う作業から始めて、約2ヶ月で完成しました」

高校を中退し家出。ギターを片手にホームレス生活からの脱出。

店主の由利さん。後ろの壁に貼ったタイルがセルフリノベーションしたもの。

店主の由利充翠さんは愛知県名古屋市出身。小さい頃はわんぱくで、姉と弟の三人兄弟の真ん中。地元の高校に通っていたが中退。

「その頃の僕はなぜかひねくれた青年だったので、バイトしてお金を貯め、夏休みを含む3ヶ月間、一人でインドへ旅行に出かけました。夏休みも含めたとはいえ、必然的に出席日数が足りなくなりますよね。その上、インドから帰ってからギターに目覚め、学校の近くの駅で歌っていたら教頭先生に見つかり『こんなこと辞めろ』と言われたんです。これを辞めるくらいなら学校辞めるわ!と、そんな単純な理由で高校を中退しました」

高校を中退した由利さんは、高校にも行ってないのに親の世話になるわけにはいかないと、大してギターも弾けないのに、ギターを片手にストリートミュージシャンで食っていこうと決意し家を出る。

「ストリートミュージシャンで食っていこうと家を出たものの、まったく食えませんでした(笑)仕方なくそこからはホームレス生活に突入です。家を出て半年間は地元名古屋でホームレス生活をしながらストリートで歌っていました。夜は寒くて外では眠れないので、夜の間に活動し、昼間は近くの公園やデパートで寝てましたね」

そんな時、大阪にはとてもおもしろいブルースマンたちがいっぱいいると聞きつけ、友達のつてをたどりながらヒッチハイクで大阪に行き、そこから一年くらいは大阪でホームレス生活をしていた。

「大阪でのホームレス時代に、冬の野宿生活を2回経験しました。が、これ以上はもう無理だと親に泣きつき、アパートで一人暮らしをさせてもらいました」

無事(?)にホームレス生活からは脱出し、そこからも音楽で「飯が食える」ようになりたかったが、音楽の基礎的なものを全く学んでいなかったため、専門学校に行きたいなと思い始める。けれど高校を中退しているので、まずは夜間高校に入学することにした。夜間高校で色んな事を教えてもらえる環境になったことが面白く、夜間高校の次は4年制の大学に進もうと決意。

「だんだん学ぶことが面白くなってきたというか、自分自身の成長が実感できることが楽しくなり、琉球大学に入学しました。なんで沖縄かというと、沖縄だったらホームレスになっても凍死しないかなと思って(笑)」

琉球大学に入ったのが23歳の頃。大学を4年で卒業後、大学院の修士課程で2年、博士課程で3年、合計9年間の大学に在籍。最後は学位を取らず辞めたが、その時の夢は建築家だったそうだ。

「たまたま大阪にいた時の知り合いが建築家で、彼は海外からの仕事を日本で受け、設計図面を書いていた。建築士になればどこに居てもできる仕事だと思い、沖縄でもそういう仕事ができればいいなと」

が、彼は建築家にはならなかった。

なぜビールなのか?それは単純にビールが美味しいと感じたからだ。

浮島ブルーイングのオリジナルビール。グラスも素敵。

現在はクラフトビールは沖縄のみならず、各地で大人気。20年くらいの前には地ビールブームがあったが、終息。そして最近になりまたもやブームになっている。だが今から3~4年、クラフトビールはまだまだ下火だった。そんな中、由利さんはクラフトビールに出会い、飲んでみるととても美味しい。そこで前出の言葉「自分たちでこんなビールが作れたらいいね~」と仲間と話してから、3年くらいで実現させたのだ。

由利さんは大学1年~2年生の頃は共通の科目を学んでいたが、その後、実際に街づくりをやっている先輩に出会い、大学で専門分野を選ぶ際に「都市計画」という分野を選んだ。

「その当時は移住人参加型のワークショップだったり、いろんな商店街の活性化をしている方々に興味を持ち、大学では「都市計画」を学び、大学在籍中の9年間、ずっと街づくりにかかわっていました。しかし関わればかかわるほど、計画性であったり、うまくいくためのアドバイスを求められるのだが、それをクリアしたところで、実施する主体にはなれないというジレンマがずっとありました」

確かに実施するのは役所だったりコンサルタントという職業の人たち。それならば自分たちがコンテンツそのものになってしまおうと思った。そして『ビールを作って売る』ことになった。

「作り方を研究していく中で、研究開発のおもしろさに没頭していきました。工場はにぎわい広場の近くにあり、最初は工場長と二人でビールを作っていたんです。現在は『浮島ブルーイング』をオープンしたため、僕は工場にはほとんど入らず、工場長と1人のスタッフ、そしてアルバイトで作っています。僕は店舗のオペレーションをしています」

2017年からビール事業を本格始動させ、神奈川県の醸造所で研修し、12月に醸造免許を取得。今年4月に操業を開始した。そして2018年7月に「浮島ブルーイング」をオープン。オープンしてわずか一ヶ月後にはビールが売切れてしまい、店を休まなければいけなくなった。嬉しい悲鳴だ。

「浮島ブルーイング」で販売するビールは、キレがよく爽やかな浮島ゴールデンエール、フルーティーな香りが特徴の浮島ヴァイツェン、麦芽の風味が香ばしい浮島IPAの3種類が定番。他はその日ごとに種類が変わり、1日最大8種類を提供できる。

将来はぴぱーちの葉っぱを香り付けに使ったビールや、久高島で作っている麦を使った『神ビール』も作ってみたいそうだ。

ポルトガルの郷土料理「浮島風コジード・ア・ポルトゲーザ」

料理は「沖縄と世界の港町」をテーマに、主に県産の素材で世界各地の料理を提供している。内容は時期ごとに変わるが、現在はポルトガルの郷土料理や南米料理を味わえる。

写真はポルトガルの郷土料理をアレンジした「浮島風コジード・ア・ポルトゲーザ」。このメニューは煮込み料理で、材料に沖縄県産野菜とあぐーソーセージ、そして豚の顔「チラガー」を使用。味はもちろん食感も楽しめる。

ビール作りと並行してのまちづくり。好きな街は、自分でつくろう

浮島ブルーイングのカウンター。女性一人でも気楽に行けるのは嬉しい。

由利さんはビール事業と並行して、マネジメント事業をやっている。取材当日も仕事先の久高島から帰ってきたばかりだった。

「僕らはエリアのマネジメントを前提に考えてやっています。久高島は観光客が増え、年間5万~5万5千人が久高島を訪れます。島民が170人くらいなので、島民と同じ数の人が毎日久高島を訪れているという計算になります。なので観光の弊害が出てきているんです。久高島の島民が『天と地と人のつながり』を、どういうふうに考えているのか。それを観光客に伝えられる場所を作って欲しいという依頼が僕の元に来たんです」

今回、由利さんが久高島に作ったものは小屋。この小屋に案内役の人が常駐したり、周りにはガジュマルやソテツを植えたり。もちろんガジュマルやソテツも久高島にあるものを植替えた。小屋のデザインから施工、木々の移殖などをやり終えて、久高島から戻ってきたところだった。

「僕は建築家でもないしそういう一面だけではなく、ネットワークの中でデザイナーだったり建築家だったり、施工業者を巻き込みながらやっていく。ソテツの掘り出しは久高島の島民の中に元造園業者の方がいて、その方の力を借りたり、壁の漆喰は地元のおばちゃんと一緒に塗ったりと、小屋を造りながらも島全体を巻き込み、『この場所をみんなで使っていくんだよ』ということを作っていっている感じです」

神の島と呼ばれる『久高島』は、神の島であるが故に、ある意味、閉鎖的な島だ。そんな『久高島』にすんなり溶け込み、島民を巻き込み心を開かせる力を由利さんは持っていると思う。

昨年、沖縄市で初めて開催した『リノベーションスクール』も、今では全国的に開催しており、由利さんはその運営にもかかわっている。ただ順調に見える由利さんの人生にも、苦悩はあったようだ。

「僕の前職は街づくりのNPO法人でした。そこで大きな挫折を味わいました」

まちづくりというと国や市からの補助金がもらえる。しかしそれをもらう事によってたくさんの失敗を重ねた。

「今はだんだん変わりつつありますが、公金を使い事業をするという事は、それによる利益を上げてはいけないというルールがありました。利益を上げられない事業を運営し続けるという事は、苦悩でしかなく負担だけが増えて。それにプラスして、役所への手続き上の書類だったり、市議会などで質問がでたりすると、エビデンス(証拠・根拠、証言)付きの情報を整理して提出しなければならなかったりと、とにかく面倒で。僕は経産省の補助金を利用しましたが、経産省の事例集とかに載ってしまうと、東京から国や各市町村の役人、商店街の組合の方々が視察にやって来る。その対応に追われたり、問い合わせがきたり、毎週のように時間を取られるが、そんな面倒な対応の割に儲けは少なく、苦悩でしかありませんでした」

そんな苦悩を味わったことにより、補助金や助成金を一切もらわないと決めた。現在は銀行や身内からの借り入れで、しっかりした利回りが出せる事業として取り組んでいっている。

浮島ブルーイングの工場。

最初に沖縄に来た時に住んだのは大学の寮。そして大学院に進んだ頃、浮島通りにアパートを借りる。インターネットで物件を探し、不動産屋で借りたそうだ。

「移住した頃、沖縄のおじいやおばあとから『いつまで沖縄にいるのか』とよく聞かれました。その頃の僕は『いつまで』とも決めてないし、『ずっといる』という決心もなかったので、心の隔たりとまで大げさではないけど、多少はありましたね。結婚して子供が生まれ、必然的に子供は沖縄生まれになるので、ようやく周りからも『いつまでいるのか』という質問はされなくなりました。でも未だに永住するとは決めてないし、かといって引っ越す予定もないですが」

将来の夢と展望を聞いてみると、驚きの答えが返ってきた。

「非現実的な事を言うと、ビールとか他の事業でお金持ちになって、女子大をつくりたいんです。現在の女子大は家政学や保育、英語文化教育をすることによって、社会に有能な子女を輩出することが多い気がしますが、今はそれだけではなく、女子大が持っている力や面白さがあると思うので、世の中で活躍できる女性をどうすれば輩出できるかを考えています。今の時代にマッチする、もしくは先を見据えた人材をつくりたい。あと10年くらいで実現できればいいなと思っています」

自分たちでこんなビールが作れたらいいね~と仲間と話してから、彼は3年くらいで由利さんは実現した。あと10年後の沖縄に『由利女子大』ができる可能性は高い。いや、さすがに大学名に苗字は付けないか。失敬。

最後に移住する方へのアドバイス。

「沖縄で一番の心配は仕事だと思うんです。沖縄では給料も多くは望めない。なのでせっかく移住するのであれば、自分で仕事をつくるぞ!という気持ちをもって移住した方がいいと思います」

自分で仕事をつくるのはとても難しい。しかしそれが一番の得策だと思う。

これからもどんどん新しいビールを作っていきたいと由利さんはいう。新しい事への限りないチャレンジ。冒険はまだ始まったばかり。​続きをおたのしみに。

浮島ブルーイングのコースター。

浮島ブルーイング

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沖縄大好きケコ
★沖縄大好きケコ★
「てぃーだかんかんブログ おきなわラブな人たちのためのブログ」やインスタグラムなどで、沖縄大好きを発信中! 2016年、泡盛マイスターの資格を取り、国際通り屋台村 「島酒と肴(しまぁとあて)」でその実力を発揮、FM那覇にて居酒屋風ラヂオ「イザラジ」のパーソナリティを務める。Sunking Leather Craft代表。福岡県出身。

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