職の人

出逢う前から繋がっていた。そんな縁を感じさせる素敵なご夫婦が営む古書店。



職の人 vol.12

ちはや書房 櫻井伸浩さん・ヒサエさん

沖縄本は約7000冊。沖縄好きな人たちのワンダーランド。

2万冊の古書のうち、三分の一は沖縄本。沖縄好きには夢の国。

「サラリーマンを辞めてちはや書房を始めてから12年。ノンストレスで毎日が楽しいです」

そう話すのは、那覇市若狭にある古本屋「ちはや書房」の店主、櫻井伸浩さん。

那覇市立那覇中学校の目の前にある「ちはや書房」の店内には、約2万冊の古本が並ぶ。そのうちの約三分の一は沖縄本というから驚きだ。沖縄大好き人間にとってはまさにパラダイスと呼んでもいいだろう。「ちはや書房」に入ると、時間を忘れてお宝本探しに夢中になれる。

店名の「ちはや書房」は、店主の櫻井さんの祖母にあたる「櫻井ちはや」さんの名前を付けたそう。女性や子供、家族が入りやすいお店を心掛けているそうだ。

「探していた本がちはや書房で見つかった!と言われた時は、とても嬉しい瞬間です。旅行者もインターネットでうちの店を調べて、わざわざやって来てくれる。本当にありがたいですね」

ニコニコと穏やかに話す櫻井さんの笑顔や口調には人柄がにじみ出ている。

宮城県出身の伸浩さん。秋田県出身の奥様ヒサエさん。どんどん引き寄せられる二人。

一番好きな場所はお店という櫻井さん。まさに天職。

伸浩さんは宮城県出身。小さい頃は大人しくスポーツが苦手だったので、家でファミコンをしていた。しかしその頃TVで流行っていた「川口浩探検隊シリーズ」に憧れ、夢は探検家だったという。弟が一人。

小学校では先生にスカウトされ、合唱部に所属。とても楽しかった。中学校には文化部がなく、仕方なくバスケット部に入るが続かず中途半端に終わる。

「小さい頃から探検が好きだったので、考古学研究部に入りました。でもインディージョーンズみたいな内容は出てこなくて、考古学の勉強ばかりでつまらなくなり、途中で断念。そこからは帰宅部になりました」

帰宅後は家ではファミコンをしたり読書を楽しむ。通学時間にも本を読んでいた。昔から本は大好きだった。

「高校を卒業後、仙台の大学に入り、部活の勧誘で連れていかれたのがボディビル部。当時、僕は太っていたので痩せるのを期待したがまったく痩せず(笑)パワーリフティングに力を入れ、卒業までの4年間頑張りました。なにもかも中途半端だった僕が、初めて続けられたことでした」

大学を卒業し、就職したのは某大手の携帯会社。最初の勤務先の青森で4年務め、そこで社会というものを学んだ。とても楽しかった。その後、青森→仙台→福島の支社で11年間務める。

奥様の櫻井ヒサエさん。明るく元気いっぱいで、パワフルなイメージ。

奥様の櫻井ヒサエさんは秋田県出身。教員の両親と妹の4人家族。雪国なので10月の末くらいからは一面の銀世界になるため、冬場に遊ぶといえばスキーくらいしかなかった。とはいえ歩いて行ける距離に大きなスキー場はなく、地元にあるリフトなどはない地域のスキー場に父と妹と行き滑っていたそうだ。アルペンスキーやノルディックスキーを競技でもやるほどの腕前だという。

「スキーをする以外は、家で本を読んでいました。本に関して言えば、小さい頃から絵本や児童書が家にはたくさんあったので、ずっと本を読んでいました。両親が教員だからかもしれませんが、絵本の量はかなりありました」

中学は卓球部に所属。しかし合唱部でピアノを弾く担当がおらず、ヒサエさんがピンチヒッターとしてピアノも弾いていた。高校は女子高に入り、もっぱら帰宅部。電車通学だったので、そこから本格的に本を読むようになった。

「学校帰りに本屋に寄り道していましたね~。図書館でもよく本を読みました。お気に入りの作家の本はすべて読むほどのめり込みました」

高校卒業後は、埼玉の大学へ。田舎暮らしと寒いのが嫌だったので、地元秋田から離れたかった。大学卒業後、就職先は、福島県の某放送局に入りアナウンサーとなる。

「アナウンサーとはいえ、ただ喋ってればいいというわけではなく、営業以外はすべてやらされて、思っていたアナウンサー業とは違い、1年で退職。その後はアルバイトを転々とした。そして幾度かの転職ののち、ヒサエさんは秋田に戻り、某大手携帯会社の代理店に勤める。勤務地は違えど、その代理店は、伸浩さんと同じ某大手の携帯会社だった。

福島と秋田。近そうで遠いその距離。出会いはまさかのハワイ?!

店内には奥様ヒサエさんが選んだセンスのいい雑貨も販売。

ヒサエさんが働いていた某携帯会社の代理店は営業成績がよく、優良な代理店には、本社からご褒美のハワイ旅行が与えられるそうだ。でも与えられるのは代理店の中の1名だけ。ヒサエさんはいう。

「私はその営業成績にまったく貢献していなかったのですが、ハワイには誰が行くか。という話になった時、まわりの先輩方はみんなで譲り合ってなかなか決まらないので、『誰も行かないのなら私が行きまーす』と立候補して(笑)そしてハワイ旅行をゲットしました」

そしてハワイ旅行当日、代理店を招待する側の、某大手携帯会社本社の随行員として参加していた、旦那さんの伸浩さんとヒサエさんはハワイで出会う。その時、伸浩さん25歳。ヒサエさん30歳。東北出身の二人がハワイで引き寄せられた瞬間だ。

「ハワイで意気投合し連絡先を交換しました。付き合おうかという話になった時、私(ヒサエさん)もいい歳だったので、結婚を前提でないと付き合いたくはなかったんです」

「僕も付き合うからには結婚したいと思っていました。同じ東北とはいえその頃の僕らは、仙台と秋田にいたので遠距離恋愛はツライ。なので半年付き合って結婚しました」

出会ってから10回もしないうちに結納。結婚したのが伸浩さん26歳とヒサエさん31歳。5年後に娘が生まれるまで、年に一回は大好きな沖縄に来ていたそうだ。

絵本や児童書もたくさん。家族みんなでちはや書房に行っても、楽しめること間違いなし。

「お互い寒い地方の出身なので、とにかく暖かいところが好きで。出会ったのもハワイだし。結婚してから旅行にを計画中、グアムに行こうかな~と妻に相談したところ、妻が家族旅行で行ったことのある沖縄を勧められ、沖縄に来たらハマっちゃいました」

それからは必ず毎年一回は沖縄を訪れた。いわゆる「沖縄大好き病」になってしまったと伸浩さんはいう。

「初めての沖縄で感じた事は、まるで外国だなーと思いました。本土と文化は違うのに、日本語が通じるのが不思議なくらいでした。日本だから日本語が通じるのは当たり前なのに(笑)空気も違うし、海の美しさにも感動しました。東北が「陰」なら沖縄は「陽」といった感じです」

オークションサイトで古本屋が出品されているという、嘘のようなホントの話

伸浩さんにとって奥様は「尊敬できる人」。奥様にとって伸浩さんは「癒し」ですって。ほんわか。

結婚して5年後に娘が生まれる。その頃、伸浩さんは、健康診断で心臓に疾患が見つかった。

「検査入院などをして、命に別状はないものの、営業職で車に乗ることが多かったので、運転中に万が一の事があったら困るので、営業職ではない部署への異動を希望しましたが受け入れられず。その頃から転職を考え始めたんです」

以前から漠然とではあるが、古本屋になるための研究や勉強をしていた。ある日、沖縄の古本屋が某有名オークションサイトに出品されていた。古本屋ってオークションに出品できるんだ・・・。

「以前からよく見ていた東京の古本屋のサイトに、沖縄の古本屋がYahooオークションに出品されていると書かれてあって。古本屋がオークションに?!と確認してみたら、本当に出品されてました(笑)そのオークションに出品されていたのが、ここちはや書房なんです」

「古本屋になりたい」「転職したい」「オークションに沖縄の古本屋が出品されている」、この三つの偶然が重なり、沖縄に移住しない理由はなかった。しかもヤフオクに出品していた古本屋は、以前に伸浩さんも偶然に本を購入したことのある古本屋だというから、縁しか感じない。

「結局オークションには入札はせず、直接、出品者であるその古本屋の店主と連絡を取り、すぐに沖縄に下見に行きました。そしてその場から妻に連絡をしたんです。どうしようかって。そしたら『あなたのやりたかったことだから、やってもいいんじゃない』と背中を押してくれて、即決しました」

そう話す伸浩さんを見るヒサエさんの目は優しく微笑んでいた。その頃まだ娘さんは幼く、会社を辞め沖縄で自営業をする事に不安はなかったのか?ヒサエさんに聞いてみると、クスクスと笑いながら話してくれた。

「サラリーマンは毎月決まったお給料ですが、自営業=今よりもお金持ちになるかもしれないという期待の方が大きくて(笑)『そういうこと(お金持ちになる事)もありうるよね!』と主人に聞いたら『もちろん!』と言われて、二人して盛り上がり、夢いっぱいで沖縄に移住しました。まぁ理想と現実は違いましたけど、毎日楽しく暮らせているのでヨシとしましょう」

移住のための家探しは、古本屋の前オーナーが古本屋をやめて不動産屋に転職したため、前オーナーに探してもらった。最初に住んだのは那覇市安里。お店がある若狭からは少し離れた場所だ。

「実はちはや書房のある若狭界隈の物件をたくさん紹介してもらったんですが、当時、近くにある若狭公園はホームレスがたくさんいて、子育てにはそぐわないと思ったんです。それにたまたまその時に見ていた「子育てサイト」では、那覇でおススメの小学校は○○小学校!という書き込みで溢れていて。その小学校がある校区が安里だったんです」

しかし実際に安里に住んでみて、娘をそのブランド小学校に通わせたが、結局ブランドだけが先走り、小学校を選んだことにに気づく。その小学校は決して悪い学校ではなかったが、別に特別でもなかった。ネットに溢れる情報すべてが正しいとはいえない。

「やはり娘に何かあった時にすぐに駆けつけられる、お店に近いところに家を探し引っ越しました。もちろん小学校も転校させて。その時の家探しは、毎日出勤前に僕が自転車で、この辺をぐるぐると廻り探しました。不動産サイトも見てはいましたが、やはり足で探す方がいい物件と巡り会う確率が高いんですよね」

足で探す。この意見には私も大賛成だ。サイトに載ってない優良物件が、歩いて回ると意外にも多くある。

「店舗と自宅の二重家賃なので、一時は、店舗付き住宅を探していましたが、やはり案内しやすい場所にこだわると、那覇中学校の目の前という目印はありがたく、店舗兼住宅は諦めました。ちはや書房は那覇中学校の目の前ですってわかりやすいでしょ?」

伸浩さんのコレクションでもある水木しげる氏の本。ちはや書房にもたくさん置いているが、自宅には800冊もの水木本があるらしい。

「休みの日は出張買い取りに出かけるか、寝てるか、本屋に行きます。やはり本が好きで。休みといってもサラリーマンとは違う感覚で、仕事が趣味の延長となっているし、仕事へのストレスもないから、気分転換する必要もないんですよね。あと欲をいえばもう少し儲かったらいいんですけどね(笑)」

「ただ移住した時に悩んだことは、もし私たち夫婦に何かあった時、近くに親戚もおらず、幼い娘が一人になるのが不安でしたね。でも移住して13年の間に仲のいい友達や仲間が増え、今では何かあればその友達のところを頼りなさいと伝えています。移住したらたくさんの仲間や友達を作る方が楽しめるかもしれませんね。子供がいると助け合いって大切ですから」

最後にお二人にこれからの展望や目標、夢を聞いてみた。

「とにかくお店を続けていきたい。サラリーマンの時以上には稼げていませんが、閉店する店も多い中、地域に溶け込み13年続けられていることに感謝しています。今後もこのまま続けていくことが目標です」と伸浩さん。

「移住した当時は娘も小さく、私(ヒサエさん)が働くのは無理だと決めつけていました。小さな子供はすぐに熱を出すし、働いても会社に迷惑をかける事になると諦めていたんです。娘が小学校1年になった頃、仕事を初めたんですが驚いたことがあって。周りには赤ちゃんのいるママさんや、小さなお子さんを持つ方も多くて。意外にも働くママに協力的な会社だったので、もう少し早く働けばよかったと思いました。務めてからもう8年経ちます」

「仕事がない」「賃金が安い」と言われる沖縄も、最近は1000円超えの時給もザラにあるし、働くお母さんにも協力的な企業も多くなったように思う。

「お金持ちにはなりたいけど、お金よりも大事なことがあると強く思うんです。健康で日々の食事が美味しく食べられればいと。サラリーマンを辞めてから、あぁこんなにも家族で食べる夕飯は楽しいんだなとつくづく思います。古本屋になる夢が沖縄で叶って本当に幸せです」

「深く考えずに移住しましたが、これまでの13年間、移住して後悔したという瞬間もないです。最初は分かり合えずに文句を言われた事もありましたが、付き合っていくうちに、お互いの人となりがわかってきて、だんだんと理解しあえる。友達とか知り合いや仲間を作る事は大事だと思います」

ヒサエさんは地元のおばぁとも仲が良く、すっかり溶け込んでいる。
「沖縄で古本屋をして驚いたのは、沖縄本の多さ。沖縄には本土とは違う面、違う文化、違う歴史、背景があり、私は沖縄が好きだ!とは言っていましたが、私の知っている沖縄はほんの一部だという事に気づきました。もしかすると、移住前からもっともっと沖縄の事を知っていたら、簡単に軽い気持ちで移住できなかったかもしれません。でも本でいろいろな沖縄を知る事はとても役に立つので、沖縄本をたくさん読んで沖縄を知って欲しいです」

沖縄に来られた際はぜひ櫻井夫妻に会いに行ってください。

とても仲のいいご夫婦。ちはや書房でお気に入りの沖縄本に出合えるはず。

ちはや書房

098-868-0839

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沖縄大好きケコ
★沖縄大好きケコ★
「てぃーだかんかんブログ おきなわラブな人たちのためのブログ」やインスタグラムなどで、沖縄大好きを発信中! 2016年、泡盛マイスターの資格を取り、国際通り屋台村 「島酒と肴(しまぁとあて)」でその実力を発揮、FM那覇にて居酒屋風ラヂオ「イザラジ」のパーソナリティを務める。Sunking Leather Craft代表。福岡県出身。

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