職の人 vol.3
琉球ドラゴンプロレス 美ら海セイバーさん
美ら海ブルーのコスチュームに身を包む、第四代琉王はシャイなヒーロー
「自分がヒーローという意識や役割はありません。自分のできる最大限の事をやった結果ヒーローとなった。ヒール役(悪役)もやってはみたい」
そう話すのは、琉球ドラゴンプロレス、御万人(うまんちゅ)王座第四代琉王である「美ら海セイバー」。
彼は沖縄唯一のプロレス団体「琉球ドラゴンプロレスリング」に所属するトップレスラー。米軍基地の街「嘉手納」に本拠地を置く団体だ。
琉球ドラゴンプロレスリングは、2013年4月に旗揚げし、嘉手納町・ネーブルカデナ内にある「カデナアリーナ」を拠点に、県内様々な場所で興行をし、沖縄県にプロレスを広げるために活動。
またビッグマッチを定期的に開催し、天龍源一郎、藤波辰爾、高山善廣、獣神サンダーライガー、鈴木みのる、越中詩郎など名だたるビッグネームを招聘。併せて内地団体とも協力体制を敷き、各団体の来沖の際は全てサポートしているのだという。
以前、美ら海セイバーは「沖縄プロレス」という団体で、「ミルマングース」として活躍。
でも実は、彼のデビュー戦は「沖縄プロレス」ではなく「大阪プロレス」の時だったという。
プロレス好きの弟の影響で、大阪プロレスを観に行き人生が変わった
大阪出身の彼は3人兄弟の長男で、小さい頃は大人しい少年だった。中学校の3年間を野球部に所属。そんなセイバーがなぜプロレスラーになったのか。
「野球部を引退した中3の夏、プロレス好きの弟が大阪プロレスを観に行くというので、一緒に行ったのがきっかけです」
中学を卒業し、高校時代は大阪プロレスが運営していた「プロレス教室」に通い、入門テストを受け見事合格。高校卒業後に大阪プロレスに正式入団。人生を変える出会いはどこにあるかわからない。
「大阪プロレス時代に憧れていレスラーは、同チームのレスラー「ツバサ選手」。週一くらいでツバサ選手に練習の指導をしてもらっていました。とても厳しい練習でした」
大阪プロレス入団から2年が経ち、挑んだデビュー戦。デビュー戦では素顔、そして本名で戦った。
だが、大阪プロレスでデビューした時には、既にセイバーの沖縄行きは決まっていた。沖縄プロレスを旗揚げのためだ。もちろん旗揚げメンバーの中にうちなんちゅは一人もいない。ではなんで沖縄での旗揚げを決めたのだろうか。
「当時の大阪プロレスの社長はスペル・デルフィンでした。彼の奥様が沖縄出身の方で、そのご縁で沖縄プロレスを旗揚げしようという事になったんです」
そう。当時の沖縄プロレス社長の奥様は元アイドルの「早坂好恵さん」なのだ。沖縄県出身の早坂好恵さんを妻に持つスペル・デルフィンが、2007年に応募した沖縄県が支援する「ベンチャービジネスサポート事業」の一環として採択され、沖縄県産業振興公社のバックアップもあり、観光名所でもある国際通りにあるエスプリコートビル5階を常設会場兼事務所に改装して、大阪プロレスの傘下団体として設立したのだ。
そしてセイバーは2008年に沖縄へ移住。当時21歳。沖縄プロレスでは「ミルマングース」というリングネームで活躍。他のプロレス団体からも沖縄プロレスへの入団があり、美ら海セイバー(当時はミルマングース)より遅れて現在の「琉球ドラゴンプロレス」の代表である「グルクンマスク」も沖縄プロレスへ入団。2012年8月に事業契約が満了になり、同年8月25日の興行を最後にデルフィンアリーナ国際通りを閉鎖となる。
「そのまま続ける事も可能だったかもしれませんが、当時沖縄プロレスを引っ張っていた怪人ハブ男という選手がいて、彼も諸事情で沖縄を去ることになったんです。怪人ハブ男選手が去り、当時、残った若手だけではそのまま沖縄プロレスを継続する事が困難だった。相談の結果、翌年グルクンマスクさんが琉球プロレスリングを立ち上げる事になりました」
それが2013年。拠点を国際通りからカデナに移し、美ら海セイバーとなる。
メキシコのプロレスが好き。必殺技はファイヤーバードスプラッシュ
美ら海セイバーの必殺技は「ファイヤーバードスプラッシュ」。
「ファイヤーバードスプラッシュ」とは、コーナーからリング内の相手に向かって、前方に450°回転してのボディプレス。セイバーはメキシコのプロレスが好きなので、技にもその影響が出ているらしい。
プロレスをやっていて怖いと思った事があるのかと尋ねると
「怖いと思う事はやはりケガですね。以前に必殺技でもあるファイヤーバードスプラッシュをやった時、手から着地してしまい、全治二か月のケガを負いました。その時に感じたのは、ケガの痛みよりも試合ができない二か月間が苦しかった。試合がしたいと強く思いました。プロレスが好きなんです。」
第四代琉王である「美ら海セイバー」。今まで戦った相手で強敵だと思った選手は?という問いかけに
「沖縄プロレスのシーサー王ですね。体重が140キロくらいある巨体は強靭で、とても強かった」
写真を見てもわかるシーサー王のその強靭な肉体。現在シーサー王はマスクを脱ぎ、リングネームをGAINAに戻した。フリーとして2018年現在もみちのくプロレスには定期参戦中であり、のはしたろうと友達タッグを結成中。できれば対戦したくない相手だ。
「プロレスラーをしていて一番の喜びはもちろん試合に勝つことですが、試合が始まる前に選手の名前を呼ぶコールというものがあり、そのコールと共に観客から投げてもらう紙テープの量が多いとテンションが上がります。あとは試合中の声援も嬉しいです」
琉球ドラゴンプロレスの試合を観に行くと、観客から子供たちの声援がひっきりなく聞こえてくる。
「セイバー頑張れー!」「セイバー負けるなー!」
美ら海セイバーは子供たちにとってヒーローなのだ。
沖縄で大好きな場所。それは美ら海水族館の「オキちゃん劇場」
美ら海セイバーが初めて沖縄に来たの、高校生の修学旅行で宮古島へ。その時は沖縄に将来移住するなんて考えてもみなかった。沖縄に降り立ち最初の感想は「暑い」。この答えに思わず笑ってしまった。確かに暑い。
そして沖縄に移住して今年で10年。マスクの下の顔はとてもイケメンでうちなーじらー(沖縄顔)。目鼻立ちがキリっとしていてとても綺麗な目をしている。ハーフのようにも見える。マスクをしているのがもったいないくらいだ。そんなセイバーが愛してやまない場所は、美ら海水族館のイルカショーが観れる「オキちゃん劇場」。
「観客席に座りイルカショーを観ながらイルカ越しに青い海が見える。とても贅沢で大好きな場所です」
さすが美ら海セイバー。
そしてセイバーの趣味にも驚かされた。
「ゲームが大好きです。あとアニメや漫画も。時間が許すならずっとゲームをしていたい」
少年のような笑顔でそう答える。引き締まった肉体と強さ、それなのに少年のような心を持つセイバーにギャップ萌え。
毎日欠かさないトレーニングと並び、とても重要なのは毎日の食事だという。炭水化物は食べず、その代わり肉を食べる。でも一番大好きな食べ物は「グラタン」だそうだ。萌え。
そして試合前のルーティンを聞くと
「プロレスラーあるあるですが、試合前には必ずエナジードリンクを飲みます。周りのレスラーにもそうしている人は多いです。ゲン担ぎというか・・・そういえばプロレスラーあるあるは他にもあるんです。試合会場で自分の入場曲が流れているのに、まだ何も用意ができておらす慌てふためく・・・という夢を見る。結構多数のプロレスラーからも同じような話を聞きます」
こういう話を聞くとインタビュアー冥利に尽きるというか、本当に面白いなと。さすがプロの世界。どんな時でも頭の中ではプロレスの事を考えているのでしょう。
「自分が沖縄に移住し、沖縄で働いている中で感じる事は、沖縄の方々は本土や外国から沖縄に入ってきたものに対してはとても応援するのに、沖縄で頑張っている人やものに対してはあまり興味を持ってもらえないという事。自分たちも元々は大阪から沖縄へやってきた団体ですが、現在の琉球ドラゴンプロレスは”沖縄のもの”と認識されているのか、あまり応援してもらえないように感じます。興味をもってもらえないというか・・・。もちろんたくさんの沖縄の方に支えられてもいます」
琉球ドラゴンプロレスが沖縄に根付き、”沖縄のもの”と認識されているのはとても嬉しい事ではあるが、嬉しさと裏腹に厳しさもあるというのはとても意外に感じる。喜びであり苦悩でもある。沖縄ゆえのものなのか。
「とにかく琉球ドラゴンプロレスをまずは沖縄の方に知ってもらい、そしてもっともっと琉球ドラゴンプロレスの知名度を上げたい。今はそれが目標です」
決して口数が多い方ではない美ら海セイバーが、力強くその目標を語った時の目はとても真剣で、彼の琉球ドラゴンプロレスに対する愛情と意気込みを感じた。頑張れ我らのヒーロー美ら海セイバー!!
琉球ドラゴンプロレス
ホームリング:ネーブルカデナアリーナ
沖縄県中頭郡嘉手納町兼久下原372-2 ネーブルカデナ3F
琉球ドラゴンプロレス公式HPはコチラです。