職の人 vol.9
pupa? スタイリスト 玉田直子さん
人見知りなのにお調子者で怖いもの知らず。好奇心旺盛な女の子。
「私、沖縄に呼び寄せられたんだと思ってるんです。沖縄の人にも街にもパワーを感じます」
そう話すのは、那覇市牧志にあるヘアサロン「pupa?(ピューパ)」のスタイリスト、玉田直子さん。
沖縄の観光地として、多くの人が立ち寄るであろう、国際通り。その通りから一本裏通りに入っただけなのに、急に静けさが戻って来る。そのすーじぐゎー(筋道)に「pupa?」はある。
緑いっぱいの広い店内は明るく、人気の美容室。でも最初に玉田さんが働き始めた頃は、小さな店舗でユニットは3台。神奈川県出身のオーナーと、沖縄出身の奥様、そして玉田さんの3人で営業していたという。
高校の修学旅行で訪れた初めての沖縄で、移住を決意。
「初めて沖縄を訪れたのは、高校2年の修学旅行でした。11月とか12月とかちょっと肌寒い時期でしたが、一気に沖縄が好きになりました。沖縄の人たちのパワーが凄くて!!」
玉田さんは大阪生まれ。二人兄妹の末っ子で、小さい頃はとても人見知りが強く、だけどひょうきんでお調子者だったそうだ。
「小さい頃は人見知りが強い上に、まったく人のいうことを聞かず、きっと親を困らせたと思います」
玉田さんは自分の世界を持っているキュートな女の子。今でもほんの少しだけ人見知りな部分はあるけれど、好奇心が旺盛で人が好き。パワフルな大阪で生まれ育ち、大阪の方が沖縄よりも数倍、いや数十倍パワーがあるように思えるが、玉田さんは初めての沖縄、それも修学旅行で訪れた沖縄で、沖縄のパワーを肌で感じ移住を決意する。
ぶっ飛んだ行動力のなせる業。思い描く人生は自身の手でつかみ取れ!
小学校の頃の玉田さんは活発で、いつも男子と遊んでいた。それが中学に入る頃からはまたもや人見知りが増し、部活の仲間という小さなコミュニティの中でしか遊ばなかった。高校時代はとにかく学校が楽しくて仕方がなかった。通っていたのは公立高校だったが、学校の規則はまったく厳しくなく自由だった。
「私が通っていた高校は規則が緩くて、黒髪であればパーマかけたりドレッドヘアにしても何も言われなかったんんです。そこからオシャレに興味を持ち始めた事が、美容業界に入るきっかけだったかもしれません」
オシャレに興味を持ち始めた高校時代の玉田さんは、美容室に通い始め、そこの女性スタイリストさんと仲良くなり、その女性に憧れを抱く。人生初の「信頼できる人」だったそうだ。
「高校3年の頃に通ってた美容室のスタイリストさんに進路相談をしていて。その頃の私は、勉強はしたくないけど、オシャレはしたい。人に縛られたくないけど、人とは関わっていたいと、勝手な事ばかり思っていました(笑)そしたらそのスタイリストさんが、じゃあ美容学校がいいんじゃない?と勧めてくれたんです」
玉田さんはその時、スタイリストになりたかったというよりも、そのスタイリストさんに憧れ、そのスタイリストさんのような女性になりたいと思っていた。なので憧れの女性に勧められるまま、その人と同じ美容学校に行った。
現在の大阪でも人気の高い美容室『MASHU(マッシュ)』。当時の玉田さんは美容専門学校で勉強しながら、卒業後は有名店『MASHU』で働きたいと夢見る。「MASHU」は当時からめちゃくちゃ人気のサロンで、面接試験が4次面接まであった。
「一生懸命頑張りましたが、結果その面接に落ちてしまい、初めて挫折を味わいました。「MASHU」で働けないなら、美容業界にいたくないとさえ思った。とはいえ働かないわけにはいかず、最初の店に就職し2年半ほど働く。
初めて働いたサロンはいいお店ではあったが、落ち着いた感じの店で、スタッフもみんな真面目。玉田さんの理想は、もっとパワーがありぶっ飛んだ個性的な店で働きたかった。
そのサロンは休みも多く、当時、実家暮らしだっ玉田さんはお金にも余裕があり、ストレスを発散するために、月1度は沖縄を訪れていた。
「仕事でストレスが溜まったら、沖縄本を読んだり沖縄音楽を聴きまくったりしてましたね。沖縄の異文化がとても新鮮で、呼び寄せられる感じがしました」
そして沖縄に旅行に来ていたある日、裏通りをブラブラ散歩をしていた時に、ある小さな美容室を見つける。
「一目見た瞬間にこの店で働きたい!と思った時には、ドアを開け『雇ってください』とお願いしてました(笑)」
そのお店が現在働いている「pupa?」。当時は神奈川出身のオーナーと沖縄出身の奥様の二人で営んでいる小さなサロンで、『雇ってください』とお願いしてみるも、最初は断られたという。凄い行動力。いやぶっ飛んでいる(笑)
断られてもどうしてもココで働きたいと懇願したものの、旅行で来ているため一旦は大阪に帰らなければならなかった。しかしその時点で沖縄移住の決心はほぼ固まっていたので、ええい!!と、大阪で働いていた美容室を辞め、『pupa?』で働けなくてもなんとかなるさ!と、移住までの一ヶ月間はバイトに明け暮れ、移住費用を貯めて着々と沖縄移住に向け邁進していた矢先、『pupa?』からタイミングよく「面接に来てみますか?」との連絡があった。そして沖縄に移住し、めでたく『pupa?』で働くことになる。
沖縄に移住して13年。どんどん沖縄が好きになる。
沖縄に移住して13年。「pupa?」で働いて13年。彼女は今、幸せだという。
「私、昔はあまりお酒を呑まなかったんですが、今はお酒が大好きで。沖縄に移住してお酒を呑むようになり、大好きな市場界隈で呑んでいたら知り合いがどんどん増えて、「pupa?」に来てくれるようになって。本当にありがたいです」
玉田さんのこだわりを聞いてみた。
「お客様自身がどんな髪型にしようか迷ってる時、よく『お任せします』と言われますが、お任せはされないようにしているんです。徹底的にお客様と話し合い、本を見てもらったり、少しでも『こんな髪型がいいな』と思ってもらえるまでとことん話し合います。自分の感性を押し付けたくないんです」
お客様のニーズに徹底的に対応したい。なので答えが出るまでカットはしない。玉田さんはお客様に喜んでもらいたい。髪型を気に入ってもらいたい。お客様がとてもかわいく、似合ってる髪型にしたいという思いがあふれ出している。
玉田さんが沖縄で一番好きな場所は、南部にある「大度海岸」。別名「ジョン万ビーチ」。ジョン万ビーチの名前の由来は、江戸時代末期に高知沖で遭難してアメリカに渡ったジョン万次郎(本名:中濱萬次郎)が、帰国の際に上陸した場所ということで付けられた。満潮時はシュノーケルなどでサンゴや熱帯魚を楽しめるが、干潮時は泳ぐことが難しいので、イノー(礁池)の中やリーフ上での磯の生き物観察がおすすめ。スキューバダイビングやシュノーケルのポイントとしても有名なエリア。
「海が見える場所に住みたくて、今も泊に住んでいます。泳げる海ではないけれど、やはり沖縄の海が好きです」
「若い頃はやたらとお客様の顔色をうかがってばかりいました。なのに最近は何も気にならない。気にならないというと語弊がありますが、フラフラしていた私が、この大好きな沖縄で13年間も生活していけているという、自信が付いたのかもしれません」
玉田さんのルーティン二つ。一つ目は、営業が終わり、帰り際にお店を出る時に大声で「ありがとうございます!!」と声をかける。今日も無事に働かせてもらったお礼だという。二つ目は大事な何かの前には必ず前髪を切る。取材当日も前髪を切ってきたそうだ。
沖縄に移住して困った事や嬉しい事を聞いた。
「困った事は湿気が凄いので、なんでもすぐカビでしまう。先日もプロセスチーズに青カビが生えていて、でもブルーチーズが好きなので食べてみたんです。意外とイケました。あと嬉しいのはお酒の値段が安い事ですね」
やはりぶっ飛んでいる(笑)
「将来はやっぱり独立したいと考えています。小さなお店でサロンの中にカフェも併設しているような。ケバブを提供したいです」
「沖縄のお客様はイイ人が多い。沖縄出身の方も移住されている方も。このpipa?で働いていると、色んな職種の方と出会い、いろんな話や情報が聞けて本当に楽しいです。カットやパーマが終わった後、お客様の嬉しそうな気持ちを直に聞けるのも嬉しいし。私、沖縄に来て人が大好きになりました」
最後に沖縄移住を夢見ている方へのアドバイスを聞いてみた。
「まず沖縄に住んでみる。裸一貫で移住してみる。準備しすぎると、自分の中の妄想と現実のギャップに悩むかもしれません。選ばなければ仕事はたくさんあるし、手に職はなくても那覇にはたくさんの仕事があります。なので最初に住むのは那覇がいいかもしれません。昔に比べると、沖縄はとても住みやすくなったと思うし。自分の心を広く持ち、郷に入れば郷に従えの精神があれば、沖縄はきっとあたたかく迎え入れてくれるはずです」
満面の笑みでそう語る彼女を見て、間違いなく沖縄に呼び寄せられたに違いないと確信した。
pupa?
098-861-4174
沖縄県那覇市牧志2丁目5−9